元湯陣屋 将棋・囲碁
数々の将棋・囲碁の名勝負の舞台「松風の間」
松風の間は明治天皇をお泊めする為、黒田藩主が大磯に建てものを移築したお部屋。欄間には桐や菊が施されており、今も数々の将棋・囲碁の名勝負が行われております。
陣屋は、昭和に入ると時代を代表する将棋や囲碁の名棋士たちが王座を争う場として、知られるようになります。
今迄行われたタイトル戦は300以上。平成23年の第52期王位戦では羽生善治氏が王位を獲得し、大山康晴十五世名人の不滅の大記録、通算80勝に並ぶ歴史的偉業を陣屋の松風の間で達成されました。
昭和将棋史に残る「陣屋事件」
陣屋事件とは、昭和将棋史に残る事件で一躍将棋対局の場「陣屋」を有名にした事件でもあります。
時は、昭和27年 木村義雄名人との対決となった第一期王将戦七番勝負第六局。対局前日の2月17日 升田八段はひとりで新宿から小田急線に乗り、鶴巻温泉駅から歩いて対局場の陣屋に向かった。
後の升田の主張によると、玄関のベルを押したが、だれも出てこない。番頭が通りかかったが、取り合わない。大事な将棋を指すはずの旅館なのに、宴会の騒ぎが聞こえる。30分ほど待ったがだれも出てこない。 我慢が限界に達し、近くの別の旅館にあがった。「今晩はここに泊まり、あすの朝、対局場にいこう」。 いったんはそう決めたが、説得に来た理事らとのやりとりの中で怒りがぶり返し、「旅館を変えてくれんのなら、絶対に指さん」と爆発、そのまま対局を拒否し、東京に帰った。
日本将棋連盟の理事会は22日、升田を1年間の出場停止処分にし、理事全員が引責辞職した。
しかし、連盟が戦前に分裂騒ぎを起こした時の脱退組の流れをくむ棋士たちや関西の棋士たちが、世論の後押しも得て猛反発した。 問題を一任された木村名人が「升田、理事会双方が遺憾の意を表明し、升田は即日復帰、理事の辞表も受理しない」という裁定を下し、解決した。
升田は第六局を不戦敗となったが、平手番の第七局に勝ち、第一期王将となった。木村はこの後名人戦で大山康晴に破れ、引退した。
事件の背景に、何があったのか。このシリ-ズで、升田は木村に四勝一敗として、すでに勝利を手にしていたが、 当時の王将戦は七番すべてを戦う決まりだった。しかも三番勝ち越すと、一段差の実力がある場合のハンディである「半香(はんきょう)」、つまり二局に一局は左香なしで指す「差し込み」制度を採用していた。 実力名人戦が始まって以来頂点であり続けた木村名人が香を落とされると知って、新進のA級八段だった高柳敏夫名誉九段は「天皇の玉音放送を聞いた時よりショックだった」という。
「当日の朝、起きて最初に『木村名人が香を落とされて指す日だな』と思った」そうだ。升田は自伝『名人に香車を引いた男』の中で、「打倒木村」に燃えていた升田自身、大いに得意だった反面、「名人」の権威を傷つけることにどうしても抵抗感があった、と回想している。「病気を理由に棄権しようか」。升田は揺れていた。それでも親しい棋士らに励まされ対局場に赴く決心をした...」