魯山人先生は昭和29年、当時日米協会の会長を務めていたロックフェラーの招待で渡米し、ニューヨーク近代美術館をはじめ各地での展示会を開催しその後ヨーロッパに渡りピカソやシャガールとも交流してきました。帰国後には本作品のような銀彩に三彩を施した作品が誕生します。備前の土で焼成後に銀三彩として黄・青・緑釉で水玉や把手の部分には檜垣文を描いています。同手のものが足立美術館に収蔵されていますが手鉢の銀彩は稀少です。昭和30年頃に制作された最晩年の作品です。
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