書家として活動をしていた頃の1910年より3年ほど、朝鮮京城にて印刷局書記として仕事をしていた。帰路の際、上海で書・篆刻の大家といわれる呉昌碩と会食し「随縁艸堂」と書かれた扁額をもらいうける。よほど嬉しかったのかその扁額は星岡窯の母屋に掲げられ、また自身の落款も「縁」を「緑」に変えて使用している。随縁(多くの縁に従う)は魯山人の根底に刻まれた言葉であると言えるだろう。1926年、星岡茶寮で開催された第二回魯山人習作展出品作品。縦32.5×横69.0×厚4.5 cm
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