大正13年(1924)京都東山窯の工場長だった「荒川豊蔵」氏と出会い昭和2年(1926)陶房に招き、色々な釉薬等を研究しました。その中で織部釉がとても良い色を出せましたので織部を多く焼きました。1955年から二度に亘り、織部焼での「人間国宝」指定を断っています。晩年は金銭事情が悪く、奨学金も入るのに、国(芸術が解らぬ)が決めるものは受けたく無いのです。この作品は毎日でも使え、用途が豊富で魯山人の素敵な織部作品です。・昭和10年(1935)頃の作品
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